前回までのあらすじ~第一次オスマン戦
前回の投稿から時間が空いてしまい新実績とは到底呼べなくなってしまったが、このまま放置するのもアレなので何とか完結まで記載することにする。
ということで前回は大アルメニアを建国してこれからどうするか…という段階で突然オスマンに宣戦され、詰んだところからだ。

黄金時代を発動させて軍質差を埋めるとともに、オスマン国境は山岳地帯が多く、この日を見越して要塞も建てていたので防衛に徹してオスマン軍に出血を強いて戦争疲弊を高め、成るべく被害を少なく和平を結ぶことを基本戦略とした。

その結果、開戦から5年経った1512年になんとか1領の割譲と賠償金で和平を結べ、致命的な被害は避けれた。賠償金の負担は大きいが、領土は維持できたので停戦期間中に体制を立て直して再戦を期すこととする。

第二次オスマン戦~実績達成まで
オスマン戦後は疲弊した国力の回復に努め、借金の返済と人的資源の回復に明け暮れる日々だったが、1523年にシルヴァーンを滅ぼし、アジャム戦を3回挟んだ1555年が以下の領土である。この間、ポーランド・リトアニアとオーストリアと同盟を結ぶことが出来たため国防は比較的安定した。
ペルシア側の拡張は実績には必要ないが、少しでも国力を高めるために実施した。ただ、本プレイではチキって宣戦を後回しにしたが、オーストリア、コモンウェルス、マムルークと同盟を結べていたのでさっさとオスマン戦を挑んでも良かったかもしれない。

さて、順調に領土を拡張し、オスマンとの国力差を埋めることが出来たと判断し、1573年にいよいよオスマンに反撃を開始する。


この戦力差なので苦戦する要素もなく、全土占領から領土割譲要求。実績達成には微妙に足りないのでもう1戦する必要がある。

第二次オスマン後、マムルークから同盟を切られたがマムルーク領も実績達成には必要なためむしろ好都合だった。この後、オスマンとマムルークと1戦交えて実績達成に必要な領土を獲得、改宗して実績達成となった。


まとめ
駆け足になってしまったが、実績達成のまとめをして終わりたい。独立~第一次オスマン戦までがとにかくキツイ印象だった。特に、最初のオスマン戦の被害をどれだけ抑えられるかが鍵だろう。下手にコンスタンティノープルを狙ってもオスマン軍に絡まれると壊滅の憂き目を見るので、アルメニア領の山岳地帯でオスマンの出血を強いて時間を稼ぎ、最小限の被害で和平できるかが重要だ。時間が経つとオーストリアやポーランド、ロシアといった大国と同盟が結べるようになるので、簡単には宣戦されなくなる。そうなれば軍備を整えて国力が上回ったタイミングでオスマンに挑めば勝てるだろう。
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